デスクの引き出しに鉛筆がある。しかし、社内には鉛筆削りは存在しない。鉛筆の芯は減っている。私はカッターナイフで鉛筆を削った。
私が大学の工学部建築学科に入学したのは28年前の1983年。まだCADと呼ばれるものはなかった。だいたい、パソコンが普及していなかったからそんなものあるがずがない。建築図面は鉛筆で書いた。学校にはドラフターがあったが、自宅では製図板にT定規と三角定規を当てて書くことがまだまだ常識の時代だった。
当時は製図用として0.3mmのシャープが存在した。しかし、それすら使っていない学生のほうが多かった。結局、いくら極細といっても0.3mmの「太さ」がネックになることも多く、それなら鉛筆の先を適切な鋭さに削ったほうが書きやすかったのだ。
しかし、建築を学んだからナイフで鉛筆が削れるようになったわけではなく、私が育った頃は、まだかろうじてそういう時代だった。幼少の頃毎日のように遊んでもらった隣に住むの大工さんが、耳に掛けた鉛筆が丸くなると大工道具の鑿(のみ)で器用に削っていた。父親は時々画用紙に鉛筆でゼロ戦の絵を書いてくれたが、もちろん鉛筆をナイフで削っていた。画家を目指していた上の姉も色鉛筆やコンテもそうしていた。世の中に鉛筆削りは普及し始めており、自宅にも電動の鉛筆削りはあったが、刃物さえあれば鉛筆は削れるものだということをきっと私は小さいころから学習していたのだろう。
今の時代、ナイフで鉛筆を削れることはほとんど意味を成さない。しかし、気持ちがいい!伸びた爪を切ったときのような、あるいは洋服からひょろりと解れかけた糸を切り取ったときのような、そんなスッキリ感がある。近くに鉛筆削りがあったとしても、きっと私はナイフで鉛筆を削るだろう。
私が大学の工学部建築学科に入学したのは28年前の1983年。まだCADと呼ばれるものはなかった。だいたい、パソコンが普及していなかったからそんなものあるがずがない。建築図面は鉛筆で書いた。学校にはドラフターがあったが、自宅では製図板にT定規と三角定規を当てて書くことがまだまだ常識の時代だった。
当時は製図用として0.3mmのシャープが存在した。しかし、それすら使っていない学生のほうが多かった。結局、いくら極細といっても0.3mmの「太さ」がネックになることも多く、それなら鉛筆の先を適切な鋭さに削ったほうが書きやすかったのだ。
しかし、建築を学んだからナイフで鉛筆が削れるようになったわけではなく、私が育った頃は、まだかろうじてそういう時代だった。幼少の頃毎日のように遊んでもらった隣に住むの大工さんが、耳に掛けた鉛筆が丸くなると大工道具の鑿(のみ)で器用に削っていた。父親は時々画用紙に鉛筆でゼロ戦の絵を書いてくれたが、もちろん鉛筆をナイフで削っていた。画家を目指していた上の姉も色鉛筆やコンテもそうしていた。世の中に鉛筆削りは普及し始めており、自宅にも電動の鉛筆削りはあったが、刃物さえあれば鉛筆は削れるものだということをきっと私は小さいころから学習していたのだろう。
今の時代、ナイフで鉛筆を削れることはほとんど意味を成さない。しかし、気持ちがいい!伸びた爪を切ったときのような、あるいは洋服からひょろりと解れかけた糸を切り取ったときのような、そんなスッキリ感がある。近くに鉛筆削りがあったとしても、きっと私はナイフで鉛筆を削るだろう。